歩く事から走る事へ(73)
一軸、二軸と言う理屈
人間の身体構造としての二本の脚は、身体の幅をして、立っているのです。
此の二本脚を交互に前に振り出して行く時、その幅のままであれば、接地する足跡は、身体の幅をした二本の線を作って行く。
それに対して、道路のサイドにある10センチ幅の白線があって、その一本の線の上を歩く時、左軸足を回り込む様に右足が前に置かれ、その右足の前に回り込んで左足がおかれる。この足の置き方では、前段の二軸の足の置き方と比べると左右の半身を肩側から前によじる動きとなってしまうのです。この半身のよじれは、軸足の足首の所に下って来て、足首の捻れを起こすのです。そこでこの足首の捻れを無くそうとして、接地している足の平の接地面を、コンパスの軸の様に細くして、足首の捻れを細い接地面での回転として逃がすのです。
この半身の捻れを足首から足裏のピンの様な細い接地で逃がすのだが、足裏の接地面が例えば爪先立ちの様に、爪先だけの接地になってしまうのです。
そこで足裏の接地軌跡が作る跡が、一本の線の上を通るか、身体の幅の二本軸として成立するかと言う問いは、身体が動き得ると言う事が一体どのような構造で成立しているかを考えなければならないのです。
それが身体の重心と言う事なのです。
つまり、一軸も二軸も、歩く身体の重心から考えると言う事なのです。
軸はあくまでも接地する足跡の作る痕跡として現れている。
一本の白線の上を歩く時には、その白線の上を左右の足を交互に前に出す為に、体の幅の脚の開きが内側で交差する様な形になるのです。
ただ此の歩き方の時、身体の中心線上のお腹の当たりにある重心も、その白線上にあって、重心の左右のぶれを作らないのです。
それに対して、体の幅のまま、つまり二軸のままで左右の脚を交互に振り出すと二本の線の上を、<右ー左ー右ー左>と交互に接地して行くのだが、ただ身体の中心線上にある重心の位置を、足の交互にヒッバラレて、左右に揺れる事知になるのです。
例えば、左足が軸に成る時、その左足の真上に重心がくる様に、身体を左軸足上に持って行くのであり、つぎに右足が軸になる時、今度は右軸足の上に身体がくる様に体を持っていくのです。これは中心の重心が、二本の線の間を交互に左右にぶれている事なのです。
一本の線の上を歩くのであれば、身体が捩じれるし、二本の線の上を歩けば、重心は二本の線の幅分だけ左右にぶれると言う事になるのです。
此の説明については、次の様に考えればいいのです。
普段の腕を交互に振ると言う歩き方は、身体の真ん中であるお腹あたりに捻れが集まって、捻れをつくり、その捻れを逆にねじり返す事で、前進すると言う運動として現れている。この動きでも別段支障を来す訳ではないのです。
それでも長時間、長距離で歩く時に、その捻れが生ずると、前進には直接関わらないのに、ただ腕の振りから生じてしまう捻れと言う、無駄なエネルギー消費と考えられてしまうのです。
そこで捻れを作らずに歩いてみようと言う事で、効率良い歩き方が色々考えられているのです。
さて二軸での歩き方の場合、あくまでも二本の脚の構造からくる自然性なのであって、その二軸での有り方の中で、重心の左右のぶれを作らない為には、どんな身体活動が必要なのかと言う問いになって来たのです。
そこで、左軸足に対して、振り出すはずの右脚の、右股関節を外旋させる運動が、左軸足の左股関節の内旋を伴う事で、重心のある中心線から左右にぶれる動きをさせなくなるのです。
人間の身体構造としての二本の脚は、身体の幅をして、立っているのです。
此の二本脚を交互に前に振り出して行く時、その幅のままであれば、接地する足跡は、身体の幅をした二本の線を作って行く。
それに対して、道路のサイドにある10センチ幅の白線があって、その一本の線の上を歩く時、左軸足を回り込む様に右足が前に置かれ、その右足の前に回り込んで左足がおかれる。この足の置き方では、前段の二軸の足の置き方と比べると左右の半身を肩側から前によじる動きとなってしまうのです。この半身のよじれは、軸足の足首の所に下って来て、足首の捻れを起こすのです。そこでこの足首の捻れを無くそうとして、接地している足の平の接地面を、コンパスの軸の様に細くして、足首の捻れを細い接地面での回転として逃がすのです。
この半身の捻れを足首から足裏のピンの様な細い接地で逃がすのだが、足裏の接地面が例えば爪先立ちの様に、爪先だけの接地になってしまうのです。
そこで足裏の接地軌跡が作る跡が、一本の線の上を通るか、身体の幅の二本軸として成立するかと言う問いは、身体が動き得ると言う事が一体どのような構造で成立しているかを考えなければならないのです。
それが身体の重心と言う事なのです。
つまり、一軸も二軸も、歩く身体の重心から考えると言う事なのです。
軸はあくまでも接地する足跡の作る痕跡として現れている。
一本の白線の上を歩く時には、その白線の上を左右の足を交互に前に出す為に、体の幅の脚の開きが内側で交差する様な形になるのです。
ただ此の歩き方の時、身体の中心線上のお腹の当たりにある重心も、その白線上にあって、重心の左右のぶれを作らないのです。
それに対して、体の幅のまま、つまり二軸のままで左右の脚を交互に振り出すと二本の線の上を、<右ー左ー右ー左>と交互に接地して行くのだが、ただ身体の中心線上にある重心の位置を、足の交互にヒッバラレて、左右に揺れる事知になるのです。
例えば、左足が軸に成る時、その左足の真上に重心がくる様に、身体を左軸足上に持って行くのであり、つぎに右足が軸になる時、今度は右軸足の上に身体がくる様に体を持っていくのです。これは中心の重心が、二本の線の間を交互に左右にぶれている事なのです。
一本の線の上を歩くのであれば、身体が捩じれるし、二本の線の上を歩けば、重心は二本の線の幅分だけ左右にぶれると言う事になるのです。
此の説明については、次の様に考えればいいのです。
普段の腕を交互に振ると言う歩き方は、身体の真ん中であるお腹あたりに捻れが集まって、捻れをつくり、その捻れを逆にねじり返す事で、前進すると言う運動として現れている。この動きでも別段支障を来す訳ではないのです。
それでも長時間、長距離で歩く時に、その捻れが生ずると、前進には直接関わらないのに、ただ腕の振りから生じてしまう捻れと言う、無駄なエネルギー消費と考えられてしまうのです。
そこで捻れを作らずに歩いてみようと言う事で、効率良い歩き方が色々考えられているのです。
さて二軸での歩き方の場合、あくまでも二本の脚の構造からくる自然性なのであって、その二軸での有り方の中で、重心の左右のぶれを作らない為には、どんな身体活動が必要なのかと言う問いになって来たのです。
そこで、左軸足に対して、振り出すはずの右脚の、右股関節を外旋させる運動が、左軸足の左股関節の内旋を伴う事で、重心のある中心線から左右にぶれる動きをさせなくなるのです。
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